幕末明治の美女30選 その輝きは150年後も変わらない(画像集)
裸同然の姿で風呂から出て、寺田屋事件から坂本龍馬の命を救った「お龍」。二条大橋に潜伏していた桂小五郎に、握り飯を届けた芸妓の幾松。幕末の志士と恋人のロマンスは伝説となった。
明治維新を迎えると、女たちも列強に肩を並べるために奮闘した。鹿鳴館を初めとした社交界だけでなく、文学・医学・教育の世界まで、幅広い活躍を見せた。激動の時代を生きた彼女たちの輝きは、明治維新から約150年経った今でも写真から放たれている。
幕末明治の美女30選
陸奥亮子
明治時代の政治家で外交官でもあった伯爵・陸奥宗光の妻。東京・新橋の柏屋の芸者だった時代には「小兼」の名前だった。夫が駐米公使となると渡米し、亮子の美貌と聡明さは、ワシントンで社交界の華と称賛された。
末弘ヒロ子
小倉市長の4女。明治40年、学習院女学部3年生(16歳)のとき、日本初の全国規模ミスコンとなった時事新報社主催の美人コンテストで第1位となった。学校側に問題視され退学したが、のちに貴族院議員となる野津鎮之助と結婚。
鼓を打つ芸奴
モデルは氏名不明。明治時代の写真家、玉村康三郎が撮影した。
鍋島栄子
なべしま・ながこ。旧肥前佐賀藩主で侯爵の鍋島直大の妻。明治13年イタリア公使として赴任する夫に同行し、ローマで結婚式をあげる。イタリアの社交界では華やかに活躍した。
三瀬高子
みせ・たかこ。江戸時代に来日したドイツの医師・シーボルトの孫娘にあたる。明治6〜8年ごろに撮影か。
娘と桜
モデルは氏名不明。明治時代の写真家、小川一真が撮影した。
西郷清子
さいごう・きよこ。西郷隆盛の弟で海軍大臣などを歴任した西郷従道の妻。
徳川久子
とくがわ・ひさこ。紀伊藩主・徳川茂承(もちつぐ)の長女。貴族院議員の徳川頼倫と結婚した。和歌をこよなく愛した。徳川茂承の娘たちは、美人三姉妹として知られた。
徳川美賀子
とくがわ・みかこ。最後の征夷大将軍・徳川慶喜の正室。
玉菊
明治24年、浅草の凌雲閣で開かれた美人コンテスト「東京百美人」の優勝者。東京・新橋の玉川屋の芸妓
江良加代
えら・かよ。京都祇園の芸妓。木戸孝允の寵愛を受ける。木戸の死後は伊藤博文と深い仲になったほか、西園寺公望の妾だった時期もあるという。
氏名不詳
明治4年に横浜居留地59番に写真館を開いたスティルフリード氏が撮影した。
戸田極子
とだ・きわこ。公卿の岩倉具視の次女。明治4年に元大垣藩主の戸田氏共と結婚した。洋装が似合う美貌から、鹿鳴館の華となった。
渋沢兼子
幕末の江戸の大豪商・伊藤八兵衛の長女。渋沢栄一の後妻となった。
栄龍
新橋の人気芸妓。三越のイメージガール「完全無欠美人」に選ばれた。
与謝野晶子
近代歌壇を代表する歌人。明治34年に歌集「みだれ髪」を刊行。歌集「火の鳥」や詩歌集「恋衣」を残したほか、日露戦争に出征した弟を思う詩「君死にたまふことなかれ」や、源氏物語の現代語訳などでも知られる。
樋口一葉
小説家。東京生まれ。本名は夏子。生活に苦しみながら、「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった秀作を発表、文壇から絶賛されたが、明治29年に24歳の若さで肺結核により死去した。
荻野吟子
「日本人初の女医」として知られる。
野中千代子
明治28年に夫の気象学者、野中到とともにに富士山頂で最初の越冬観測を試みた。夫妻の奮闘は後に、新田次郎が「芙蓉の人」という小説を書いている。
お龍?
坂本龍馬の妻「お龍」の写真と言われているが、別人という説もあり、論争が続いている。
木戸松子
木戸孝允の妻。京都祇園の芸妓で、幾松と名乗っていた。
伊藤梅子
初代内閣総理大臣・伊藤博文の妻。結婚前は、下関の芸者で「小梅」と名乗っていた。
浅野千代子
板垣退助の4女。浅野総一郎(2代目)と結婚した。
梨本宮伊都子
なしもとのみや・いつこ。明治41年撮影。佐賀藩主・鍋島直大の次女。陸軍大将・梨本宮守正と結婚。
有栖川宮慰子
ありすがわのみや・やすこ。旧加賀藩最後の藩主の侯爵・前田慶寧の四女。明治13年に有栖川宮威仁親王と結婚した。彼女の死去後、有栖川宮の称号は消滅した。
着物の女性
モデルは氏名不明。明治時代の写真家、玉村康三郎が撮影した。
着物の女性
モデルは氏名不明。明治時代の写真家、玉村康三郎が撮影した。
月琴を弾く女性
明治時代にファルサーリ商会で販売していた彩色写真。
芸者
氏名不詳
参考図書:小沢健志監修「レンズが撮らえた幕末明治の女たち」山川出版社
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