初心者向けのチャリティ番組

日テレ24時間テレビがやっぱりおかしい

障害者の姿を映し出して感動を押し付ける「感動ポルノ」という言葉がある。今年も放映された日本テレビのチャリティー番組「24時間テレビ」の直後には、この言葉がネットの検索キーワードで急上昇したという。障害者蔑視や商業目的との批判が止まない日テレの看板番組。いつもやり玉に挙がるのはなぜか。

 

「障害者パロディ」がNHKにできても日テレにはできない理由

碓井真史(新潟青陵大学大学院教授)

 夏の終わりの恒例番組「24時間テレビ 愛は地球を救う」(日本テレビ系)。今年で39回を迎えた。もはや季節の風物詩だ。いつもなら夜中のドキュメンタリー番組に出てきそうな「障害者」の問題を、ゴールデンタイムに放送する。人気アイドルと共に頑張る障害者の姿は、視聴者の感動を誘う。視聴率もほどほど良い。

 一方、NHK教育テレビの「バリバラ」。この番組もユニークだ。近年のNHK教育テレビは攻めてきている。微妙な障害者問題を、まるでタブーなどないかのように表現する。真面目な話題を、ちょっと笑いにしたり、少し斜に構えたりして取り上げる。

 さて、今年の「24時間テレビ」の裏の時間帯で、NHKはますます攻めてきた。「笑いは地球を救う」だ。明らかに、「24時間テレビ」をパクっている。スタジオのセットもロゴもTシャツも。そして「検証!<障害者×感動>の方程式」がテーマだ。番組の中では、「感動ポルノ」などという言葉まで登場する。

「笑いは地球を救う」というキャッチフレーズを掲げたNHKEテレ「バリバラ」


 ある報道では、NHKが「24時間テレビ」を痛烈批判などと表現していたが、違うだろう。これはパロディーだ。「笑い」なのだ。

 「障害者」とはなんだろう。それは、社会的弱者。それは、マイノリティ。それは、かわいそうな人。それは、同情の対象。それは、頑張っている人。それは、清く貧しく美しい人々。

 ポルノとは、猥褻(わいせつ)な文学、絵、写真の事だが、最近はもっと広い分野でこの言葉を使う人々がいる。たとえば「フードポルノ」は、料理をことさら魅力的に表現するものだし、「キャリアポルノ」は読んでいると気持ちよくさせてくれる自己啓発書などを指して言う。

 障害者ポルノ、感動ポルノは、障害者の物語をことさら魅力的に仕立て上げ、作られた感動を押し付けるようなものだろう。

 しかし、頑張っている障害者を感動的に紹介することの何が悪いのだろうか。いや、これは悪くないだろう。けれども全ての障害者が頑張っているわけではない。障害者はみんな頑張っているというのなら、健常者だってみんな頑張っている。

 今回の「バリバラ」では、骨形成不全症でコメディアン兼ジャーナリストのステラ・ヤングのスピーチが紹介された。彼女が、障害者の感動ポルノという言葉を作った人だ。ステラは、10代の時、地域の「達成賞」をもらったという。しかし、彼女は思った。自分は普通に生きているだけ。まだ何も達成などしていないと。

 私は、かなり小柄な男性だ。もし誰かが、「あなたはこんなに小さいのに、とても頑張って生きてきました。感動しました。表彰します」と言われたらどうだろう。あまり素直には喜べないかもしれない。チビ、ハゲ、デブ、ノッポ。音痴、不器用、近眼、老眼。ああ、それなのにあなたはこんなに頑張ってきた、素晴らしい。そう言われて、うれしいだろうか。

 それは、私が障害者手帳を持っていないからだろうか。では、障害者手帳がもらえるような低身長なら、賞賛を素直に喜べるだろうか。

 頑張っている人はたしかに素晴らしい。県大会目指して一生懸命練習している中学生を見ただけで、私たちは十分感動できる。ただそれだけだと、テレビ番組にはならないだろう。

 障害者の頑張りは、わかりやすいのだ。それに、中学校の部活は多くの人が体験しているが、目が見えなかったり、手足がなかったりすることは、多くの人は経験していない。そのような障害があるのに、普通に生活し、ましてやスポーツなどしているのは、素直に驚くし、すごいと人々は思う。

 しかし、障害者だから素晴らしいのではなく、困難を乗り越え、挑戦している姿が素晴らしいのだ。障害者でも、健常者でも、チャレンジしている人は、賞賛に値する。感動が生まれる。

けれども多くの障害者は、普通に生活しているだけだ。普通の生活を普通に取材して普通に放送しても、それはゴールデンタイムの放送には耐えられない。そこで、「24時間テレビ」では、特にチャレンジしてきた障害者を2時間ドラマにして紹介したりする。普通の障害者に何か困難な課題を与え、そこに挑戦する姿を番組にする。

 番組だから、編集はある。演出もある。それは、真面目なドキュメンタリーも同じだ。厳しいコーチとして有名な人を取り上げるなら、特に怒鳴っている場面が使われるものだろう。

 しかし、「障害者」という枠組みで、すべての障害者を感動の対象としてしまうことに、問題は感じる。それは、女性をモノ化してポルノを作るのと同様に、障害者をモノ化した感動ポルノになる危険性があるからだ。

 感動自体が悪いわけではない。今回の「バリバラ」でも次のように語られている。「誤解してほしくないのは、感動は悪くないんですよ。感動の種類をちゃんとわかってないと怖い」「一番怖いのは無意識」。

 「24時間テレビ」の社会的貢献は大きいと思う。39年間の間に、多くの寄付金を集め、障害や難病の理解を深めた。有名アイドルと障害を持った人々の交流は、心のバリアフリー解消のために貢献してきたと思う。

 「24時間テレビ」は、一般向け、子どもを含めた初心者向けだ。その意義は大いにあるだろう。ただし、39年間の間に世の中もマスメディアも、少しずつ進歩してきている。パラリンピックが大きな注目を集める時代だ。NHKが、障害者問題でパロディーができるようになった現代だ。感動は素晴らしいが、それだけで良いのかと、私たちは問い始めている。

リオデジャネイロ・パラリンピックの選手村に入る日本選手団=8月31日(共同)


 障害者への配慮は必要だし、思いやりは素晴らしい。しかし、気をつけなくてはならない。その優しい思いの裏に、賞賛の声の下に、偏見や差別の心が潜んでいないか。障害者は、あなたの態度を歓迎しているのか。

 社会心理学の研究によると、障害児と健常児をただ一緒にするだけでは偏見の思いは無くならない。健常児たちは優しい心を持って障害児を助けるのだが、その結果は、障害児は私たちの助けが必要な弱い人という偏見を強めてしまう。

 そこで、障害児が持つ特徴や能力を活用し健常児と協力しあわなければ勝てないゲームをやらせる。そのような体験が、偏見差別の心理を減らす効果があった。

 ジェンダーに関する研究では、レディーファーストを「好意的差別」と呼ぶことがある。レディーファーストができる男性は、評価が高くなるのだが、これらの男性の中には、無意識的に女性を低く見る「敵意的差別」をも同時に持っている人々がいることがわかっている。

 それにしても、障害者問題、差別問題は複雑だ。すべての障害者が過剰な賞賛や同情を拒否するわけでもない。同じ言葉や態度に対して、喜ぶ人もいれば傷つく人もいる。そうだ、人の心は複雑で、人それぞれなのだ。

 障害者も健常者も、いろんな人がいる。日常生活があり、笑いも感動もある。そんな私たち一人ひとりが、もっと自由に、もっと楽しく生きていける社会にしていきたい。

飯島 愛 ちん Benz Royce

頬を紅く初めて 幼心 そっと抱きしめて❣ よちよちぶらぶらチ~ン

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